わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』( ベンジャミン・アリーレ・サエンス作/川副智子訳/小学館)

作: ベンジャミン・アリーレ・サエンス
訳:川副智子
出版社: 小学館
出版年: 2023年
舞台:アメリカ(テキサス州
ISBN:978-4093567442

 

夢中で読み終えた。好きすぎるあまり、すぐ感想がまとまらないタイプの作品だった。アリの気持ちが沁みいるし、やや自分の思考回路に似ていて、いろいろ心にささった。アリの両親がいい人でよかった。たぶん、多様性の受けいれについて、まだまだ理想と現実の乖離があると思うから、辛い場面はあるけど、こういう話は世に出続けてほしい。

……と2023/10/05に書いていたので、あらすじと感想を追記してみた。

読後すぐ心に浮かんだ思いはこんな感じ。

ピックアップトラックの荷台で寝そべって砂漠の星空を見たい。
本能は理屈を越える。
人を好きになることってすてき。
犬は犬だ。

では、作品のかんたんな紹介と感想を。

テキサス州エルパソに住むアリは15歳。アリには、メキシコ人の国語教師の母とベトナム戦争帰還兵の無口な父がいて、さらに、「一生分」(12歳)歳の離れた双子の姉と、その1歳下に、家族から存在を否定された兄がいる。アリは、メキシコ人でもアメリカ人でもない自分に戸惑っていて、忙しいけど退屈で、父の勧めでボーイスカウトに入ったものの、大勢の男の子たちといると居心地が悪いし、そもそも同性であれ異性であれ、真の友だちがいない。人生は謎だらけだった。そんな夏のある日、プールでダンテに出会った。聡明なのに馬鹿なふりも平凡なふりもしないダンテが眩しく見えた——。

アリは言った。「宇宙一悲しい少年になった気がした。夏が来て、夏が去った。夏が来て、夏が去ったのだ。そして世界が終わろうとしていた」(p185)。これは、不可思議な少年ダンテに出会い、ある事故が起き、そして、ダンテ一家がシカゴに引越ししてしまう前の晩に発した言葉だ。これがとても心に響いた。

アリは、まわりから存在を認識されてないと感じていたから、自分の話に熱心に耳を傾けてくれるダンテに惹かれた。ダンテはダンテで、ありのままに生きていたから、孤独を味わっていた。ダンテは人から好かれるわりに、大勢と関わるのが苦手なタイプだ。そんな二人が意気投合するのは自然なことに思えた。ふたりが出会ったばかりの頃、ダンテがアリに『闇の奥』を貸した。作者のコンラッドも移民で、アイデンティについて少なからず悩んだだろう。その本をアリは「暗い」と言いつつ「悪くない」と評した。その感想がこの先の展開を示唆しているように思えた。『闇の奥』は、悲劇と言われているけど、わたしはそうは思わない。主人公マーロウは帰路で希望を感じているからだ。船員の知人がいるから、ひいき目かもしれないし、象徴として受けとっているかもしれないけど、平たく言えば、マーロウが奥地に送られたのは、できるだけ珍しいものを運んで帰ってこいいといわれたからだと思う。でも、物質ばかりを追い求めるこの社会は正しいのだろうかと疑問をもち、悩みぬいて答えを見つける物語だと思っているのだ。この生業の人が、この物語は悲劇だね、と言われたとしたら、もし、それがわたしの人生だったとしたら、やってられないと思う。

アリは繊細で敏感でありながら、喧嘩っ早く、感情が抑えられない危うさがあり、それを自覚している。自分自身が宇宙の謎だと思いながら、そのもどかしさを率直に語るのがアリの魅力だった。そんなアリの支えになったのは、ダンテのほかにも、いる。愛犬レッグスだ。「気持ちを修正することのない」犬の愛情表現を見て、なにか説明のつかない力が湧いてくる。

ところが、抑えのきかないアリだから、ときに賢明でない行動に出てしまう。それを父に諌められるのだが、その父を「人に対しても言葉に対しても慎重でいられるのは珍しい上に美しいことだった」と表現する。この反応に感動でふるえた。無口で謎だらけの父を理解したときの、アリの言葉選びがかっこいいのだ。物語全体に閉塞感が漂っているのに、終始美しさを感じるのは、アリの世界を見る感性のためだろう。苦悩の奥に美しさがあるという価値観は、まさに『闇の奥』のテーマに重なる。目の前のことをあるがままに受けとめ、前向きに進もうとするアリの美学があった。

原書は2012年発表だが、邦訳刊行に時間があいたのは、今ならテーマが多すぎる、と言われない時代になったからだと思う。自分は何者なのか(アリの場合、メキシコ人なのかアメリカ人なのかという悩み)、LGBTQ+(このくくりをしないで紹介できるのが夢)にまつわること、その偏見のある社会に生きること、ヴェトナム戦争で心が傷ついた父を持つこと、ある理由で(ネタバレなので書けない)失いかけた兄をとりもどすこと、などのテーマがあると思う。でももう、 ”ふつう” の15歳が主人公なんだと、すんなり受け止めてもらえそうな気がする。少なくともティーンの読者にはあたりまえだと受け止めてもらえると思う。海外の児童書/ヤングアダルト作品では、すでに、さまざまな背景の主人公の物語が生まれているし、それが読まれているはずだ、と。

背景の知識があればさらに味わいが深まるかもしれない。舞台はテキサス州。まだ、ニューヨークの都会に比べれば保守的だと思うから、こんな偏見や差別があるわけない、と言いきれないと思う。残念だけど。ダンテが、一時、シカゴ(イリノイ州に移り、「エルパソよりこっちの方が黒人が多くて、それがいいなと思うんだ。アイルランド系や東ヨーロッパ出身の人もたくさんいるし」とアリへの手紙に書いてきた。だから、アメリカ国内でも、地域によっていろいろなルーツを持つ人々が共存しているところと、そうでないところがあるようだ。それは日本も同じだと思う。令和になっても、多様性に対する寛容度は、コミュニティによってちがうだろうと思う。わたしの肌感覚でいえば、まだもう少し伝えていかなければいけないテーマかな、と。たとえば、この作品に出てくる、親族から縁を切られる伯母さんも、お兄さんの不在の理由も、物語だから大げさに書いているわけではなく、どこか身近に感じられる。だから、たくさんの人がこういった本に触れて、避けられることは避ければいいのだと思っている。誰かを差別したり、悪意のある偏見を持ったりすることは、かっこ悪いし、おかしいと思う人が増えれば。考え方が変わるだけでもいい。できれば、こつこつと行動にうつせればもっといい。草の根運動的にでも。

この本を読み、ふと思い出したのは、映画『君の名前で僕を呼んで』だ。主人公が、北イタリアの避暑地のカフェテラスで、気だるそうに過ごしてる。夏には、夏が終わるのを待っていて、夏以外は夏が来るのを待ってるという。夏という言葉がもう詩だと思った。夏の出来事って一大事なのだ。

ティモシー・シャラメが最近なにかやらかしたけど、演技は凄まじくうまい。

 

2023/11/11