わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

『無意識のバイアスを克服する』(ジェシカ・ノーデル作/高橋 瑠子訳/河出書房新社)

作:ジェシカ・ノーデル
訳:高橋 瑠子
出版社:河出書房新社
舞台:アメリ
出版年:2023年
ISBN:978-430923133-4 

*人文系ノンフィクション

本書は、王立協会科学図書賞などの賞にノミネートされた話題の人文系ノンフィクションだ。海外の児童書やYAは、時代の風をつかむのが早いため、こういった最新の研究書も参考にしてみると文化背景が深まると思い読み始めたが、内容が面白く、何度も読み返した。

 

*概説

人種や性差別、見た目や年齢などの属性のために人生が左右されることがある。時に命に関わる問題だ。例えば、黒人の命を軽視する警察の暴力行使などが思いだされる。こうしたあからさまな偏見だけでなく、公正でいようとしても差別的な言動をしてしまうような気持ちの格差があるとし、それを「無意識のバイアス」と呼び、解消していこうとするのが本書の目的だ。

 

はじめにトランスジェンダー男性、ベン・バレスの事例が書かれる。バレスは科学者で、性別移行をしたあと周囲の反応が良くなったのを感じた。まず、さえぎられず話を聞いてもらえるようになった。移行前は「女性差別なんてとっくに終わっているはずだし、仮にまだ存在していたとしても、自分は女性差別を受けるほど女性らしくないはずだ(略)自分がみんなと同じ扱いを受けていると思い込んでいた」と思っていたが、バレスのアイデアも実績も影響力も、移行前は実際より軽視されていたことに気づいてしまう。バレスは白人だが、非白人のトランスジェンダー”女性”への風当たりはさらに強いという。

 

つぎは医療現場の例だ。ラテン系や黒人の患者は鎮痛剤を与えてもらえないことがあるという。さらに、女性だと症状を訴えても大げさだと見なされ、そもそも処置が遅れるそうだ。アメリカに住む黒人やアラスカ先住民、アメリカ先住民の妊産婦死亡率はかなり高いそうで、これは貧富の格差だけが理由とは言えないという。また、これまでの医学は「男性の結果をそのまま女性に適用できるとみなし」「女性の存在を無視してきた結果、医学は未だに女性の症状に無知なのだ。女性の症例が研究されてこなかったため女性がかかると非典型的だと言われてしまうのだろう。誤診によって命を落とす」とあった。この記述にはショックを受けた。最近読んだ児童書で思い出したのは、『魔女だったかもしれないわたし』(エル・マクニコル作/櫛田理絵訳/PHP出版)だ。主人公の女の子は自閉症的だ。英国の作品でアメリカの事例ではないものの、女の子だから、なかなか診断がされず困っていただろうと思わせる描写が出てくる。

 

つぎはギフテッドの子たちのクラスの例だ。ある教師がそのクラスを受け持つことになり人種分布を見て疑問に思った。黒人やラテン系、英語が堪能でない子や低所得家庭の子どもたちがギフテッドと判定される絶対数が少ないのだ。実態を調査していくと、IQの点数を売買する市場があり、裕福な白人の子どもの点数が高くなっていたことが分かったという。さらに、クラスには女の子が少なく、それは親の期待が「ジェンダーバイアスから自由ではなかった」ことを示している。これでは必要な配慮を受けられず困っている子どもがいることになる。この記述を読んで思い浮かべたのが、以前記事にした『世界を7で数えたら』だ。

 

trawkwk.hateblo.jp

*所感

この本で書かれている研究対象は、ジェンダーについては白人女性が多く、人種差別については黒人男性が多い。そうであれば、アメリカでアジア系アメリカ人(それも女性)はどんな扱いを受けているのだろうかと不安に思った。目に映ってすらいないのかもしれないと思うと胸がつまる。そういえば、『トラから盗んだ物語』テェ・ケラー 作 / こだまともこ 訳)の主人公は「透明人間」になるのが得意だと言っていた。

 

負の側面ばかりが書かれているわけではない。ロサンゼルス警察が、アファーマティブアクション(積極的格差是正措置)を採用して成功した例も取り上げられている。とくにこのパートを読みながら、自分の中にあるバイアスに気づいてしまい、目が開かされた。出てくる人名と肩書きを見て、自動的に男性の姿を浮かべてしまう。まだまだ甘いのだ。だからそれが解消していければいいと思っている。

(2023/11/08)