わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーグ スローン作 三辺律子訳 小学館)

『世界を7で数えたら』

作者:ホリー・ゴールドバーグ スローン
訳者:三辺律子
出版社:小学館
出版年:2016年
ISBN:978-4092905801

主人公ウィローは数字の7で世界を見る女の子で、生まれてから7番目の月と7番目の日に里親に出会った。高機能の脳を持ち、世界とそりが合わず、すでに幼稚園で「変なやつ」と言われる。植物は酷いことを言わないから庭にいると落ち着いた。自分でも変わっているとわかっていて、それを抑えようとしている。自分の世界に逃避したいときは数を7つずつ数える。中学の新学期、限界に達し、早退した日に庭で夜空を見あげ星を数えたら、その数が最高記録になった。

ウィローは考えることが好きな女の子だ。その探求力のおかげで、植物が植物らしく生きていることを知っている。ウィローは自宅の裏庭に思い入れがある。「植物は、一年を通してそこいらじゅうに生えていて、地面の上で押しつ押されつつしながら育ち、仲間を増やし、生きている。なのに、あたしたちはとうぜんのものとして目もくれない」という。その言葉は本質をついている。

この作品は、肌の色や、女の子だというせいで、ギフティットの子がきちんとケアされない問題に向きあっている。ウィローは中学校で初めて受けたテストで満点を取ると、不正を疑われ行動カウンセラーのもとに送られる。前例がないからと十把一絡げにされ、耳を傾けてもらえない。前の学校の先生がウィローの聡明さを引き継がなかったのは、人として尊重しなかったからかもしれないと思うと、悲しくなった。

だが、カウンセラーのもとに通うようになって、良いことも起きた。ウィローはカウンセリングに通ううち、同じカウンセリングを受ける子と友だちになる。はじめての友だちだ。年上の高校生、カリフォルニア系ベトナム人の女の子マイは、ウィロー自慢の裏庭をちゃんと見てくれた。読んでいると、マイは、落ち着いた自信のある子で、どこに問題があり、どうして行動カウンセリングに来ているのか疑問に思った。その判断にも実は偏見が潜んでいるのかもしれない。アジア系の女の子なのに大人しくないから?言葉のせいで困っているだけかもしれないのに?そういうふうに、社会は人の本質を見ないふりをしているか、そもそもなにも見ていないのだろう。ウィローにもマイにも少しずつ親近感を覚えるから、これはアメリカだけの問題ではないはずだ。

もう一つのテーマは里親制度。ウィローは里親から愛情いっぱいに育てられていたが、事故で二人を一度になくしてしまう。そして、新しい里親を探しを進めるうちに、里子として好まれるのは、年少の子やブロンドの子ばかりだということを知る。

そんな、シリアスな内容でありながら、本作をすっと読み進められるのは、そこかしこに救いを感じるからだ。ウィローは人生の移り変わりを庭にたとえながら、じょじょに喪失感から立ち直っていく。ウィローと出会う人々は、その秘めた力が花のようにぱぁっと開く。みんなが癒されていくのがうれしい。それは、ウィローに人の良いところを見る才能があるからだ。

カウンセラーとして働く白人中年男性のデルも良かった。これまでいくつもの仕事をクビになり、ようやく見つけたのが、”だれもやりたがらない”行動カウンセラーの仕事だった。前任者は疲弊して辞めていったという。その細かい背景まで書いてあるわけではないが、社会に必須の、いわゆるエッセンシャルワークの仕事の大変さがほのめかされているよう。デルの主な業務は、自分のところに来る子どもたちを、前任者が決めた5つのカテゴリーに分類していくだけ。仕事に対する意欲はあまりない。だから、はじめのうちは、デルが少し手を抜いているように見え、傲慢だとおもった。でも、よく考えてみたい。デルは、今までどの共同体にも「属している」と感じたことがないのだ。疎外感をおぼえ無気力になっていただけ。そんなデルもウィローと、あるプロジェクトを進めていくうち、人に期待されるよろこびを知り、自信がついていく。

ウィローが出会うのは、それぞれが孤軍奮闘していた人たち。みんなが結ばれていく様子は爽快そのものだった。ウィローはこう言う。「どんな人にもいろいろな要素があって、それが混ざりあって唯一無二の存在になっている。あたしたちはみんな、不完全な遺伝子のスープなのだ」と。だれもがウィローのように世界を見られたら、人々はつながっていくことだろう。

*カウンセラーのデルのことは、ブログ開設のあいさつでも触れた。「突然変異」する大人とはデルのことだ。いつになっても変われるのだと思うと、心が軽くなった。

 

trawkwk.hateblo.jp