わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

サラ・クロッサンさん講演(@ヨーロッパ文芸フェスティバル2023)金原瑞人さん、三辺律子さんご登壇

2023年11月24日(金)にヨーロッパ文芸フェスティバル2023 に行ってきました。イタリア文化会館での講演、〈子どもから大人への移行期の読者に向けた叙情的なストーリーテリング〉です。アイルランドの詩人サラ・クロッサンさんがメインゲストでZoomでのご参加、翻訳家の金原瑞人さん、三辺律子さんが進行役を務められました。サラ・クロッサンさんの名前の発音は”セラ”が近いらしく、終始セラさんと呼びかけられていたので、ここでは敬意を込めて、”セラ”と表記していきます。

セラ・クロッサンさんは、2018年から2020年まで、名誉ある「若者のローリエット」(Laureate na nÓg)」(桂冠詩人にちなんだもの)に選ばれました。その一環で、アイルランド全国をまわり、若者から散文詩が大好きという感想をじかに聞いたといいます。

セラさんは詩人になる前は国語の教師をされていました。『ビリー・ジョーの大地』(カレン・ヘス作 伊藤比呂美小学館 世界J文学館)を教材にしてみたら、生徒が、おもしろい、大好きだと言ってくれ、散文詩形式の物語が若者の心をつかむのを実感したといいます。

若者はなんでも試したい、実験してみたいという気持ちがあり、散文詩はその好奇心にこたえてくれ、すぐ読み終えられるし、何度もくりかえし楽しめるところがいいのだ、とおっしゃっていました。作り手としても、あちこちに工夫を盛りこんでいるので、二度、三度と読み返し、いろいろ発見してほしいとのことでした。おそらく、セラさんの作品が巧みだからこそ、すぐ読み返したくなるのだと思いますが、とにかく、大人は若者が詩を読まないと思いこんでるが、子どもは楽しんでいると熱く語っていたのが印象に残っています。たしかに、散文詩で紡がれた物語は、すぐに自分ごととして世界に入りこめ、没頭できると思います。

セラさんが散文詩形式に惹かれるのは、くどいところや説明的な部分を飛ばし、感情的にインパクトのあるところや、語り手の心の動きに集中して書けるからだそうです。そう、たしかに、『タフィー』(三辺律子岩波書店)を読んだとき、すっきり練られた言葉選びに視覚的な効果もあわさって、語り手の感情がすっと染み込んできたのを思い出しました。

セラさんは一般書も執筆しているので、壇上の三辺さんが、児童書/ヤングアダルト作品との違いは何かを、伺ってくださいました。その答えから、セラさんが読み手をかなり気遣っていることがわかります。人にはいつか厳しいことを経験するときがくる、それを隠すつもりはないが、読み手を迷わせないよう、心の準備ができていない段階では見せないようにしているのだとおっしゃってました。

たとえば、セラさんの児童書/ヤングアダルト作品には、性的虐待や、ドラッグや、ギャングの暴力は出てきません。ただし、明るいとはいえない作品を書くのは、難しいテーマに惹かれるからで、自身が哲学を勉強してきたせいか、詩作で大きな問いに向きあいたいからだという趣旨のことを話されていました。

セラさんはこうもおっしゃいました。いつか、だれもが人生とはなにかを考えるときが来る。そのとき、大人や先生に言われるでもなく、自分でその問いに向き合っていかなければいけないと気づく。そうした思索の中で、本来の自分を見失わないよう、案内役になって読者を導いていきたい。だから、シリアスなテーマを書きながらもどこかに希望の種を残している、のだと。

特に心に残ったのは、『わたしの全てのわたしたち』(最果タヒ金原瑞人訳 ハーパーコリンズ)について語ったときのことです。主人公の双子グレースとティッピは結合双生児で、人からかわいそうだと思われがち。でもふたり一緒なのが当たり前で幸せだと思っていると力強くおっしゃいました。そうそう。だれだって、勝手にラベリングしないでほしいと思っています。この言葉に、強く首を縦にふりました。かわいそうだとか、他人が決めつけてはいけません。

*セラ・クロッサンさんは、アイルランド、ダブリン生まれ。2013年にデビュー。2016年に『わたしの全てのわたしたち』(原題 "One" 出版社 Bloomsbury)で、イギリス/アイルランドで最も名誉のある児童文学賞カーネギー賞と、アイルランドのCBI最優秀児童図書賞(現 KPMGアイルランド児童図書賞協会賞)を受賞しました。