わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

絵本『ティーカップ』( レベッカ・ヤング 作/ マット・オットリー 絵/ さくま ゆみこ訳/ 化学同人)

作者: レベッカ・ヤング
画家: マット・オットリー
訳者: さくま ゆみこ
出版社: 化学同人
出版年:2023年(9月)
ISBN:978-4759823103

ふるさとを離れなければならなくなった男の子が、生きていける場所を探しにボートで海に出る。カバンの中にはティーカップを入れてきた。おだやかな日も荒れる日も昼も夜もティーカップをそばに置いたり、抱きしめたり。波に揺られて月日がすぎるとティーカップの中に何かを見つけた——。

出発するとき、この男の子に残されたものはこの荷物だけだったのだと思う。家族はどうしたのだろうかと思うと胸がぎゅっとなる。

p25 の男の子のかわりようを見ると、ティーカップがあったからここまでこられたのだろうと思った。

ロマンたっぷりの幻想的な絵で、まるで自分が雄大な自然の中にいるような気分になった。空と海の境が美しくも恐ろしい。その力強さがすごい。多くを描いていないところが想像力を刺激する作品なので、いろいろな読み方ができそう。最後はどうなったのかなど、ほかのかたといろいろ語りたい。

 

2023/11/20 読了)

 

“Birdsong” Text by Katya Balen /Illustrations by Richard Johnson/Barrington Stoke,England)

作: Katya Balen(カチャ・ベーレン)
絵: Richard Johnson
出版社:Barrington Stoke,(Kindle)
出版年:2022
出版国:England

 

この作品 "Birdsong" は、邦訳『ブラックバードの歌』(カチャ・ベーレン 作/千葉茂樹 訳/あすなろ書房)が2023年10月に刊行されています。この感想は原書を読んでのものです。Katya Balen(カチャ・ベーレン)は1987年に英国で生まれた作家で、2022年に、英国で最も権威のある児童文学賞であるカーネギー賞で大賞とシャドワードチョイス賞(大賞候補作の中から若者が選んだ賞)を同時受賞しました。特別支援学校に努めた経験を持ち、自閉症ADHDの人々の芸術活動を支援する活動もされています。 

*概説/感想

主人公のアニーはフルート奏者で、まわりの音が音楽に聴こえる少女。母の運転する自動車事故で腕を怪我し、音楽学校の入学をあきらめていた。都会のアパートに越してから、車のブレーキ音や、コンクリートに響く靴音を耳にするたびフラッシュバックが起きていた。リハビリにもやる気が出ず、部屋にこもっていたとき、アパート前の生垣で少年ノアと出会った。

ノアはアニーに秘密の生垣を見せた。その奥ではブラックバードのつがいが巣作りをしていた。コンクリートだらけの都会では餌がなかなか見つからないし、あっても上手く運んでくることができない。巣の材料になるようなものもないから、ノアは生地の端切れを生垣に置いた。ノアの母は服を仕立てる職人だから生地ならたっぷりある。ノアの登場で、それまでモノトーンだったアニーの世界が彩られていくのがわかった。

生垣にいたブラックバードは、都会の音——リュックサックのジッパーの音、土を踏むくつ音、風が葉っぱを揺らす音——にあわせて歌を紡いだ。それらはブラックバードが編む、独自の曲だ。だが、悲しい出来事が起こり、ブラックバードは歌を歌えなくなってしまう。痛みを知る一人の少女と一羽の雌のブラックバードが結ぶシスターフッドに胸を打たれる。

アニーに力を添える少年ノアのキャラクターがいい。すごいものを見せたい一心で、アニーの怪我を知らずに自分の世界に引き込んだ。そんな強引さがうれしいこともある。「明日も同じ時間に、またね!」とノアが言ったのでアニーは〈明日〉があると気づいたのだ。

(記:2023/11/28)

 

『無意識のバイアスを克服する』(ジェシカ・ノーデル作/高橋 瑠子訳/河出書房新社)

作:ジェシカ・ノーデル
訳:高橋 瑠子
出版社:河出書房新社
舞台:アメリ
出版年:2023年
ISBN:978-430923133-4 

*人文系ノンフィクション

本書は、王立協会科学図書賞などの賞にノミネートされた話題の人文系ノンフィクションだ。海外の児童書やYAは、時代の風をつかむのが早いため、こういった最新の研究書も参考にしてみると文化背景が深まると思い読み始めたが、内容が面白く、何度も読み返した。

 

*概説

人種や性差別、見た目や年齢などの属性のために人生が左右されることがある。時に命に関わる問題だ。例えば、黒人の命を軽視する警察の暴力行使などが思いだされる。こうしたあからさまな偏見だけでなく、公正でいようとしても差別的な言動をしてしまうような気持ちの格差があるとし、それを「無意識のバイアス」と呼び、解消していこうとするのが本書の目的だ。

 

はじめにトランスジェンダー男性、ベン・バレスの事例が書かれる。バレスは科学者で、性別移行をしたあと周囲の反応が良くなったのを感じた。まず、さえぎられず話を聞いてもらえるようになった。移行前は「女性差別なんてとっくに終わっているはずだし、仮にまだ存在していたとしても、自分は女性差別を受けるほど女性らしくないはずだ(略)自分がみんなと同じ扱いを受けていると思い込んでいた」と思っていたが、バレスのアイデアも実績も影響力も、移行前は実際より軽視されていたことに気づいてしまう。バレスは白人だが、非白人のトランスジェンダー”女性”への風当たりはさらに強いという。

 

つぎは医療現場の例だ。ラテン系や黒人の患者は鎮痛剤を与えてもらえないことがあるという。さらに、女性だと症状を訴えても大げさだと見なされ、そもそも処置が遅れるそうだ。アメリカに住む黒人やアラスカ先住民、アメリカ先住民の妊産婦死亡率はかなり高いそうで、これは貧富の格差だけが理由とは言えないという。また、これまでの医学は「男性の結果をそのまま女性に適用できるとみなし」「女性の存在を無視してきた結果、医学は未だに女性の症状に無知なのだ。女性の症例が研究されてこなかったため女性がかかると非典型的だと言われてしまうのだろう。誤診によって命を落とす」とあった。この記述にはショックを受けた。最近読んだ児童書で思い出したのは、『魔女だったかもしれないわたし』(エル・マクニコル作/櫛田理絵訳/PHP出版)だ。主人公の女の子は自閉症的だ。英国の作品でアメリカの事例ではないものの、女の子だから、なかなか診断がされず困っていただろうと思わせる描写が出てくる。

 

つぎはギフテッドの子たちのクラスの例だ。ある教師がそのクラスを受け持つことになり人種分布を見て疑問に思った。黒人やラテン系、英語が堪能でない子や低所得家庭の子どもたちがギフテッドと判定される絶対数が少ないのだ。実態を調査していくと、IQの点数を売買する市場があり、裕福な白人の子どもの点数が高くなっていたことが分かったという。さらに、クラスには女の子が少なく、それは親の期待が「ジェンダーバイアスから自由ではなかった」ことを示している。これでは必要な配慮を受けられず困っている子どもがいることになる。この記述を読んで思い浮かべたのが、以前記事にした『世界を7で数えたら』だ。

 

trawkwk.hateblo.jp

*所感

この本で書かれている研究対象は、ジェンダーについては白人女性が多く、人種差別については黒人男性が多い。そうであれば、アメリカでアジア系アメリカ人(それも女性)はどんな扱いを受けているのだろうかと不安に思った。目に映ってすらいないのかもしれないと思うと胸がつまる。そういえば、『トラから盗んだ物語』テェ・ケラー 作 / こだまともこ 訳)の主人公は「透明人間」になるのが得意だと言っていた。

 

負の側面ばかりが書かれているわけではない。ロサンゼルス警察が、アファーマティブアクション(積極的格差是正措置)を採用して成功した例も取り上げられている。とくにこのパートを読みながら、自分の中にあるバイアスに気づいてしまい、目が開かされた。出てくる人名と肩書きを見て、自動的に男性の姿を浮かべてしまう。まだまだ甘いのだ。だからそれが解消していければいいと思っている。

(2023/11/08)

 

 

 

2024年今年もよろしくお願いします。

みなさんこんばんは。

年明け早々に大変な出来事があり、被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げるとともに、1日も早く生活が元に戻りますよう、お祈りします。

1/1に起きた震災と、1/2の航空機事故に関して、直接的に、また間接的に受けた
心の傷がありまして、テレビニュースなどをほとんど見ることができませんでした。できるときにできることで、何か力になれればと思っています。これ以上、何も起こりませんように。

 

お正月休みはあえて普通の生活リズムを守り、毎年恒例の早稲田の穴守稲荷にお参りしてきました。

おみくじの言葉は「乾為天」でした。強力な天からのパワーに包まれ、運気の上昇や飛躍、成功が暗示されているとのことです。力がみなぎりました。

節分の日に、このお札を恵方に向けて貼るのが楽しみです。

 

何はなくても健康第一で、頑張ります。

2024年最初の読書ブログはあと7時間あまりでアップする予定です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2023/01/10

2023年心に残った児童書/YA作品

*あいさつ

もうすぐ2023年も終わりますね。仕事納めをするでもなく、あまり年末らしさを感じないのですが、この記事で今年を締めたいと思います。大事なのは形です(笑)!

おかげさまで、今年はこのブログをはじめることができました。見切り発車感が否めないですが、テーマは〈書きながら考えていく〉だし、ひとつのスタイルにこだわることもないだろうと思っています。

いまのところ、下書きをため、後日公開していくスタイルをとっているので、ほとんどの記事の投稿日時が公開日とずれていました(お気づきだったでしょうか)。
でも、今日のは、ほぼリアル配信です。

 

*2023年 児童書/YA

この2ヶ月、ブログで取り上げた本はすでに2023年の推し作品として紹介していたので、ほとんどが過去記事の振り返りになりますが、今年のイチオシ(3オシ)を発表したいと思います。

 

『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』(ベンジャミン・アリーレ・サエンス作  川副智子訳 小学館

trawkwk.hateblo.jp

『西の果ての白馬』(マイケル・モーパーゴ作 ないとうふみこ訳 徳間書店

trawkwk.hateblo.jp

『葉っぱの地図』ヤロー・タウンゼント作 井上 里訳 小学館

trawkwk.hateblo.jp

 

*やまねこ翻訳クラブ

わたしはやまねこ翻訳クラブの会員です。
やまねこ翻訳クラブは「翻訳と子どもの本に興味がある人」が集まるオンライン上のクラブです。毎年11月には〈やまねこ賞〉という、邦訳児童書と絵本を対象した会員によるベスト5の投票が行われ、12月に大賞作が決まります。今年も先日発表がありました。


読み物部門の大賞受賞作は、『西の果ての白馬』(マイケル・モーパーゴ作 ないとうふみこ訳 徳間書店

 

絵本部門の大賞受賞作『つきよのアイスホッケー』(ポール・ハーブリッジ文 マット・ジェームス むらおかみえ訳 福音館書店

です。

今日、ブログで紹介した3作品はわたしがやまねこ賞、読み物部門で投票したものです。

やまねこ賞投票の様子では、子どもの本が好きな会員たちが、2022年10月〜2023年9月までに発行された新刊からどんな作品を選び、投票したかがわかります。名前のあがった作品すべてを見てほしいです。ブックガイドにもなるかと思いますので、ぜひ、リンク先もご覧ください!

読み物部門

絵本部門

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

 

『台湾の少年1〜4』(游珮芸 脚本/周見信 絵/倉本知明 訳 岩波書店)

脚本:游珮芸 
絵:周見信
訳:倉本知明
出版社:岩波書店
舞台:台湾
出版年:2022年〜2023年
ISBN:978-4000615457 他

この作品は全4巻のシリーズ。児童雑誌を創刊するなど、台湾の文化発展に大きく貢献した蔡焜霖(サイ コウリン)氏の伝記グラフィックノベルだ。

読み終えて感じたことはいろいろある。行き過ぎた権威主義のもとで、ふつうの家族がひきさかれていく様子がつらいと思ったり、三つの言語が飛び交う焜霖の日常生活に触れ、同化政策について考えるきっかけになったりした。当時、厳しい言論統制が行われていたことを知った今、この作品を読めていることがすごいとおもった。今がありがたいというわけでは、ない。今語ってくれようとした焜霖の思いに心揺さぶられたのだ。

本来、文化も言語も、だれかに指示されて選ぶものではないはずだ。こんな過酷な状況にあったらアイデンティティが揺らいでしまう。でも焜霖はその揺らぎの中で常に前向きで、自分をなくすことがなかった。焜霖は実直で読書好きで、勉強熱心な少年だ。ただ黙って規則に従うだけではなく、自由な思想を失うことはなかった。理不尽に怒られれば心の中で抵抗することもあった。ここが大切なのではないかと思った。

 

1巻では自分が頭を整理したい思いがあり、歴史上の出来事も交えようと思う。1巻の紹介だけ少し長めだ。

 

1巻 日本統治下の台湾で生まれた焜霖、20歳までの日々を描く。

1895 年、下関条約で「台湾、澎湖諸島の日本への割譲」(『改訂版 世界史用語集』 山川出版社 2022年)が決まった。台湾は日本に統治される。

1930年、百貨店を営む裕福な一家に焜霖は生まれる。学校で教わる「国語」は日本語なので、幼少期から日本の童謡や童話に親しんでいた。家では台湾語を使っている。はじめての甘酸っぱい思い出は、幼稚園の頃、初恋のきみこと一緒に、童謡『靴が鳴る』を歌いながら、先生から通ってはいけないと言われた道を歩いたことだ。そのせいで大好きな先生に怒られ胸をいためる。先生はきみこの母親だ。「あんたの娘に誘われたんだけどな」と心の中で思いながら焜霖は怒られるのだった。

焜霖が童謡『赤トンボ』を歌っていると、兄が図書館に連れて行ってくれた。本の中ではじめてトンボの姿を知る。それ以来、好奇心を刺激する図書館が好きになる。

1941年12月、太平洋戦争が始まる。1943年、焜霖は、優秀な生徒が通う台中一中に進学した。授業以外に軍事訓練を受け、深夜行軍の演習をしたり、飛行場の草むしりなどの労働を通して軍の一員になっていく。焜霖は教えにまじめに取りくんだ。1945年、焜霖は陸軍少年飛行兵になる。1945年4月、戦況がさらに厳しくなり配給制度が開始される。政府は民間物資を買い上げ、父の百貨店は閉店を余儀なくされた。国民学校初等科以外の学校で、すべての授業が中止になる。焜霖も、15歳に満たないのに体も細いのに、学徒兵として徴用された。1945年、終戦。日本から中華民国に台湾が返還された。

「国語」は日本語から北京語に変わった。授業は再開され、焜霖は高等部に進んだ。焜霖は、すでにトマス・カーライルの本を日本語訳で読むほど、熱い読書家になっていた。スイス人のペスタロッチに憧れ、先生になることが将来の夢になった。この時、王先生と出会った。王先生は焜霖が本好きだと気づき、読書会に誘ってくれた。

1949年、中華人民共和国、建国。台湾とは、海峡を挟み、長い対立状態に入る。台湾の民衆は上から厳しい弾圧を受けていた。焜霖は映画会社に勤務する元同級生が捕まったと耳にする。「反乱分子」が密告される監視社会になっていた。やがて焜霖も連行されてしまう。読書会に参加しただけで。

絵は、淡い2色遣いの鉛筆画でほのぼのしたタッチで描かれている。日本の漫画に影響を受けただろう画風がしみじみする。気に入っているのは、焜霖ときみこのはじめての冒険を描いたシーンだ。焜霖は、近所の犬に吠えられたら、きみこを守ってあげようと思いながら、禁じられた道を歩く。農家のおじさんにさとうきびを分けてもらい、それをかじりながら『靴が鳴る』を歌う姿は、本当に小鳥のようにかわいい。1巻では、20歳までの出来事が描かれていて、幼少期の回想シーンにはあたたかい気持ちになる。焜霖が5歳の時、歳の離れた姉が結婚して家を出たのを悲しんだこと。しばらくして姉が帰省すると聞いてそわそわし、姉夫婦が姿を見せれば旦那さんにあっかんべーをしたこと。兄弟みんなで家の手伝いをするのが楽しかったこと。すべて焜霖の大事な思い出だ。だからこそ最後のシーンの衝撃が大きい。読み終えて、また、表紙のイラストよく見てみた。爆撃機にトンボの姿を重ねてあり、なるほど、と思った。焜霖は空襲警報がなると、訓練をさぼれてよかった、とひそかに思っている。この発想が子どもらしい。さとうきび畑で空を見上げ、トンボを思う焜霖はまだあどけないのだ。また、眼鏡の奥の目は、どんな表情をしているのだろう、と想像することもできる。味わい深い絵だ。また、日本統治下の台湾で生まれ幼少期を過ごした焜霖と、それ以前の時代も知っている父とでは、社会情勢の受けとめかたが少し違うのも印象に残った。

 

2巻以降はネタバレにならないよう、控えめに書こうと思う。

 

2巻 収容所での10年。

焜霖は20歳の時、「政治犯」として強制連行された。緑島という島に送られ、そこの収容所で20代の貴重な10年を過ごす。さぞ無念だっただろうと思うが、その心の穴をこの後に原動力にしていくからすごい。何かにうちこみ、気を紛らわせなければ、やっていられなかったのだろうと思う。収容所で出会った人とのあたたかいふれあいや、やせっぽっちの焜霖がたくましくなっていくさまに引き込まれた。この巻で収容所生活が終わり、安心していたが、最後のシーンに衝撃を受け、ズーンと心が沈んだ。絵の力がそうさせるのだ。すごい迫力。絵はモノトーンの木彫り版画のようで、鋭い刃でひっかいたような傷を思わせた。この巻で、気になった人物は焜霖の弟だ。

 

3巻 児童雑誌『王子』創刊

「服役」は終わったが、焜霖はなかなか仕事が決まらない。役場での職歴もあり優秀なのに「黒い歴史」があるせいだ。ようやく出版社で職が見つかり、日本語から中国語への翻訳に携わった。ところが、警察につきまとわれ、社をクビになる。その後、漫画雑誌の編集者になるも、検閲のせいで制作に支障が出るようになる。その後、仲間と児童雑誌を創刊した。焜霖は、「前科」があるせいで師範学校を退学させられていたので、この雑誌を発行することで、あきらめていた先生になる夢が別の形で叶うことになる。雑誌で子どもを楽しませ、励ますことができると考えたのだ。子どもの思いに寄り添った、雑誌『王子』の創刊詩を読んで、胸が熱くなった。実際の漫画が挿入されていて、臨場感があった。

 

4巻、民主化の時代へ 

舞台は台湾東方の太平洋上に浮かぶ離島、緑島から始まる。かつての収容所は国家人権博物館に変わり、焜霖はそこで人権ボランティアをしていて、本作の脚本を書いた游珮芸氏のインタビューを受けている。

4巻目でこの作品の誕生秘話が明かされ、最近まで真実を語ることができなかったことがわかった。そこには心情以外の理由もあったようだ。游氏によれば、国民党一党独裁の時代の教科書には、台湾の歴史すら書かれていなかったとのことだ。民主化が進み、政府がようやく、白色革命で犠牲になった人々の名誉回復、謝罪や賠償、真相解明を行うようになったという。焜霖の有罪判決は2018年に無効になった。つい最近のことなのだと思うと驚くばかりだった。

 

まとめ

わたしは自由を求めて抗う人に惹かれるところがある。抗い方にはいろいろな方法があると思っていて、たとえば、筆をとるなどして静かな抵抗をする人たちに敬意を覚えることが多い。この作品には漫画家がたくさん登場する。台湾の独自の文化を守るためだったり、人々の癒しになればという思いだったりで、思想統制下でも娯楽をたやすまいとした漫画家たちだ。

焜霖は台湾で、児童雑誌『王子』を創刊した。文章だけではなく挿絵や四コマ漫画を加えることで子どもたちを楽しませた。雑誌は若手漫画家たちの発表の場にもなり、漫画家たちの育成も行った。また、自分の会社に同じ「前科」を持った人たちを雇用し、困っている人たちに善意の手を差し伸べてきた。その志に触れ、本当の公益とは、豊かさとは何かを考えずにいられなかった。

焜霖が本好きであることが、シリーズを通して肝心だったと思う。作中の焜霖の台詞は、声に出す時と心の中にとどめる時とがある。口に出さないからといって自分の考えがないわけではないと仄めかしているのだろう。その、ぶれない軸は、幼少期からなじんだ娯楽からつくられた。読み物だけではなく、童話や漫画、童謡などに親しんだから、精神的な糧があったのだ。それは、家族に愛されながら育てた糧でもあった。だから、厳しい統制にあっても焜霖は心の自由を完全にあけわたす事はなかったのだ。

そして、もう一人の主役は、妻のきみこだ。きみこが焜霖にとってどれだけ支えになっていたか。それに、1巻〜4巻でそれぞれ絵のタッチを全て変えてあるのも魅力だ。それがわかると、また1巻から読み返したくなる。

 

サラ・クロッサンさん講演(@ヨーロッパ文芸フェスティバル2023)金原瑞人さん、三辺律子さんご登壇

2023年11月24日(金)にヨーロッパ文芸フェスティバル2023 に行ってきました。イタリア文化会館での講演、〈子どもから大人への移行期の読者に向けた叙情的なストーリーテリング〉です。アイルランドの詩人サラ・クロッサンさんがメインゲストでZoomでのご参加、翻訳家の金原瑞人さん、三辺律子さんが進行役を務められました。サラ・クロッサンさんの名前の発音は”セラ”が近いらしく、終始セラさんと呼びかけられていたので、ここでは敬意を込めて、”セラ”と表記していきます。

セラ・クロッサンさんは、2018年から2020年まで、名誉ある「若者のローリエット」(Laureate na nÓg)」(桂冠詩人にちなんだもの)に選ばれました。その一環で、アイルランド全国をまわり、若者から散文詩が大好きという感想をじかに聞いたといいます。

セラさんは詩人になる前は国語の教師をされていました。『ビリー・ジョーの大地』(カレン・ヘス作 伊藤比呂美小学館 世界J文学館)を教材にしてみたら、生徒が、おもしろい、大好きだと言ってくれ、散文詩形式の物語が若者の心をつかむのを実感したといいます。

若者はなんでも試したい、実験してみたいという気持ちがあり、散文詩はその好奇心にこたえてくれ、すぐ読み終えられるし、何度もくりかえし楽しめるところがいいのだ、とおっしゃっていました。作り手としても、あちこちに工夫を盛りこんでいるので、二度、三度と読み返し、いろいろ発見してほしいとのことでした。おそらく、セラさんの作品が巧みだからこそ、すぐ読み返したくなるのだと思いますが、とにかく、大人は若者が詩を読まないと思いこんでるが、子どもは楽しんでいると熱く語っていたのが印象に残っています。たしかに、散文詩で紡がれた物語は、すぐに自分ごととして世界に入りこめ、没頭できると思います。

セラさんが散文詩形式に惹かれるのは、くどいところや説明的な部分を飛ばし、感情的にインパクトのあるところや、語り手の心の動きに集中して書けるからだそうです。そう、たしかに、『タフィー』(三辺律子岩波書店)を読んだとき、すっきり練られた言葉選びに視覚的な効果もあわさって、語り手の感情がすっと染み込んできたのを思い出しました。

セラさんは一般書も執筆しているので、壇上の三辺さんが、児童書/ヤングアダルト作品との違いは何かを、伺ってくださいました。その答えから、セラさんが読み手をかなり気遣っていることがわかります。人にはいつか厳しいことを経験するときがくる、それを隠すつもりはないが、読み手を迷わせないよう、心の準備ができていない段階では見せないようにしているのだとおっしゃってました。

たとえば、セラさんの児童書/ヤングアダルト作品には、性的虐待や、ドラッグや、ギャングの暴力は出てきません。ただし、明るいとはいえない作品を書くのは、難しいテーマに惹かれるからで、自身が哲学を勉強してきたせいか、詩作で大きな問いに向きあいたいからだという趣旨のことを話されていました。

セラさんはこうもおっしゃいました。いつか、だれもが人生とはなにかを考えるときが来る。そのとき、大人や先生に言われるでもなく、自分でその問いに向き合っていかなければいけないと気づく。そうした思索の中で、本来の自分を見失わないよう、案内役になって読者を導いていきたい。だから、シリアスなテーマを書きながらもどこかに希望の種を残している、のだと。

特に心に残ったのは、『わたしの全てのわたしたち』(最果タヒ金原瑞人訳 ハーパーコリンズ)について語ったときのことです。主人公の双子グレースとティッピは結合双生児で、人からかわいそうだと思われがち。でもふたり一緒なのが当たり前で幸せだと思っていると力強くおっしゃいました。そうそう。だれだって、勝手にラベリングしないでほしいと思っています。この言葉に、強く首を縦にふりました。かわいそうだとか、他人が決めつけてはいけません。

*セラ・クロッサンさんは、アイルランド、ダブリン生まれ。2013年にデビュー。2016年に『わたしの全てのわたしたち』(原題 "One" 出版社 Bloomsbury)で、イギリス/アイルランドで最も名誉のある児童文学賞カーネギー賞と、アイルランドのCBI最優秀児童図書賞(現 KPMGアイルランド児童図書賞協会賞)を受賞しました。