わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

『西の果ての白馬』(前半)(マイケル・モーパーゴ作/ないとうふみこ訳/徳間書店)

作:マイケル・モーパーゴ
訳:ないとうふみこ
出版社:徳間書店 
出版年: 2023年
舞台:イギリス(コーンウォール
ISBN:978-4198655983

 

イギリス、コンウォール半島に実在するゼナー半島を舞台にした連作短編集。ゼナーの町を見下ろす〈ワシの巣〉岬と、そのまわりの荒れ地がえがかれる。

それぞれのあらすじと感想を。あ、そうそう、この短編集は順番通りに読んでほしい。

 

「巨人のネックレス」

11歳のチェリーの家族は、ゼナー岬の入り江を気に入っていて、〈ワシの巣〉と呼ばれる丘のふもとの農地にあるコテージを借り、毎年休暇を過ごしていた。チェリーは砂浜でピンクのサクラガイを1025個集めていた。あと150個あれば巨人にあげるネックレスが完成する。休暇最後の日、最後のチャンスとばかり、夢中になって貝殻を探していると、灰色の雲が現れ、沖合に白波が立ち、潮が満ちていた。気づけばチェリーは崖の下の小さな砂浜に取り残されていた。やっとの思いで崖の上の洞窟へ行くと……。

 

スズ鉱山で実際に起きた悲劇を基にした物語。この地にスズの鉱脈があったことへの誇りと、過酷な作業を強いられたすえ、不慮の事故に遭った作業員たちへの敬意が感じられた。たぶん声を与えたら、そうしゃべるのだろうという臨場感があった。「かえりたい」と言いながら、今も掘り続けているのだろうか。こわくない幽霊の話が、なんともイギリスらしい。

 

「西の果ての白馬」

その昔、ベルーナ一家は、乗った船が難破し、ゼナー村近くの入り江に着いた。それ以来、代々守り続けた農家で生計を立ててきた。酪農も営みはじめたところだ。そのとき、なぜか、牛がつぎつぎ死に破産寸前になってしまう。一家は農地を売り、別の土地に越そうとするが、一家のアニーとアーサーの姉弟はここを離れたくない。ある日、元鉱山事務所の建物から助けを呼ぶ声が聞こえてきた。近づいてみるとそこには〈ノッカー〉がいた。〈ノッカー〉に、助けてくれたお礼に、願い事を叶えてあげると言われ、姉は馬がほしいと、弟は農場をもとどおりにしたいと願った……。

 

コーンウォール景勝地だが、嵐のたびに海が荒れる厳しい地だ。自然は、人を助けてくれることもあれば、気まぐれに暴走したりする。人の生活がうまくいっているとすれば、それはたまたまであり、ノッカーやピクシーやボガードなどの〈小さい人たち〉が手伝ってくれてるんだと、人間の力など、ささやかなのだから傲慢になるなと、いわれた気がした。「土地はだれのものでもない、生きているあいだ借用しているだけ」ということばに深みがある。アニーの願い通り、白馬が海からやってきて、一家に幸せな時間が戻るが、なにごとにも期限がある。白馬は、1年と1日後にノッカーに返さなければならない。どんな生命も、ある時間、あるべきところにいる定めで、それが自然だということなのだろう。そのテーマは、次の〈アザラシと泳いだ少年〉にゆるやかにひきつがれる。でも、ベルーナ一家は、人のいい親切な人たちなので、ちゃんと報われるのがこの作品のいいところだ。

 

「アザラシと泳いだ少年」

11歳のウィリアムは左足が不自由だ。村には、体が丈夫なら探検や冒険にもってこいの遊び場がある。だが、足が思うように動かない。ある日、村の酒場の裏小屋に住むサムから、足が不自由なら、水に入るのがいい、アザラシみたいに泳げるぞと言われ、はじめて海で泳いだ。陸を歩くのが苦手なウィリアムは、水の中では自由に動け、生まれてはじめて自分のやりたいことができ、誇らしくなる。それから、毎日、学校が終わると海へ行き、アザラシと楽しく泳ぐが、その話を誰も信じてくれない……。

 

ウィリアムは母から人魚や魔女の話を聞くのが好きで、自然とその世界になじんでいる。それが印象的だった。きっとウィリアムは”そっち”の世界の人で、たまたま人間界で11年生きてくれただけなのかもしれない。なにかの手違いで、妖精が人間界に来てしまうように、水に生きるべき少年が、陸に生を受けた話なのだと解釈した。今もウィリアムはアザラシと海で泳いでいる。本来いるべきところにいて、のびのび過ごせているのだと思えば、きっとお母さんは気が楽になるだろう、と思った。最近、リチャード三世(脊椎側彎症だった)にまつわる映画『ロスト・キング』を見たので、体の不自由な人に対し、人が勝手な偏見をもつ姿にやるせなさを感じていたせいもあるだろう。いちばん切ない話だけど、いつまでも心に残っていた。

 

後半に続く。