わたしの全ての物語(仮)

ほとんど海外児童書

『西の果ての白馬』(後半)(マイケル・モーパーゴ作/ないとうふみこ訳/徳間書店)

前半の続きです。

 

「ネコにミルク」

トレメッダ農場は〈ワシの巣〉の丘のふもとにある。農場主はバーバリーおじいさん。年老いてから結婚した奥さんは、息子トーマスを産んですぐに亡くなった。おじいさんは昔ながらのやりかたで農場経営を行っていた。トーマスが新しいやりかたを取り入れたいといってくるが、断っていた。おじいさんは亡くなる日、トーマスを呼び寄せた。「あいつら」との取り決め——ひとつ、毎晩白い器にミルクを入れて外に出すこと。ふたつ、毎年ジャガイモを収穫する際は畑に一列だけ残すこと——を守るように言った。「あいつら」とはノッカーのことだ。トーマスはそんなものはおとぎ話の中の存在だとして気に留めず、取り決めを反故にする。やがてトーマスは次々に不幸に見舞われた。

 

ノッカーは何度も警告にあらわれる。でも、トーマスは意に介さない。ノッカーは「ざんねんじゃよ」と言いながらまたあらわれる。トーマスは意地をはる。そんな繰り返しのパターンに興が乗ってくる。いよいよトーマスもおしまいか、と思ったとき、廃屋になった聖堂の裏の森からノッカーの仲間たちがぞくぞくと出てきた。彼らは歓声をあげ、手をつないで輪を作る。このシーンが心に残っている。これは魔法の輪なのだろう。それを見たトーマスの暗い心に光がさした。魔法の光で心が洗われたトーマスはかつてのおだやかを取り戻す。そして、息子が迷わないよう、自分が聞かされたのとはちがうやりかたで言い伝えを語る。トーマスのやさしさがうれしかった。

 

「ミス・マーニー」

ゼナー村を見下ろす丘のてっぺんに、ひっそりした一軒家がある。ここに住むのはミス・マーニー。穀物用の麻袋を服にし、いつもひとりごとを言う。マーニーは「変人」だから近づいてはいけない、とされている。ケイト・トレロキー10歳。自由奔放に育ち、周囲の荒れ地をかけめぐっている。ケイトは例の一軒家に興味津々。前を通り過ぎるたびに足を止めていた。とうとう中に入れるチャンスがやってきた。ケイトは銃で撃たれたカラスを抱いてその家の玄関を叩いた。

 

マーニーの家は、「草地をふみわけてできた黒い細道は、まるで家に近づくのがこわいかのように、門の少し手前を横切ってい」て、村人どころか、道まで近づかない。この生き生きした描写にグッと引きこまれる。また、荒れ地に関してはこうあった。「巨石時代につくられた墓〈ゼナー・クォイト〉は、古代の長が地上にのこした最後のかがやきのように思えた。そして巨大な花崗岩がいくつもかさなった〈つみかさね岩〉は、丘の上からゼナーの村を見下ろしている」ここにコーンウォールの大地の強いエネルギーを感じた。〈ゼナー・クォイト〉や〈つみかさね岩〉などはまさにパワースポットだ。だから、ケイトを引きよせる。ケイトはこんな子だ。「気分がくるくる変わる子で、たったいま、よろこびを爆発させていたかと思うと、つぎの瞬間はがっくりとうなだれて、だれとも口をきかなくなってしまう」もはや、ケイトが他人とは思えなくなっていた。夢みることのなにがいけないのか、とも思った。それは、短編も5作目になると不思議な世界になじんでいて、すでにモーパーゴの手のひらで転がされていたからかもしれない。マーニーも魅力的で、ぜんぜん変人なんかじゃない。マーニーはいくつかの理由で冬の寒さが好きではなく、ケイトはそのことを覚えていて、あるものをマーニーに贈ろうとする。その善意にケイトらしさがあり、心があたたまった。それになにより、順番通りに各短編を読み、モーパーゴのしかけがわかったとき、最高の気分になった。